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V LEAGUE

TROPHY

ブランデージトロフィー
世界にただひとつの栄誉ある象徴

第1回日本バレーボール・リーグの開会式時、(昭和42年5月13日)、ブランデージIOC会長(当時)の依頼を受けて、東龍太郎IOC委員によってブランデージ・トロフィーの贈呈式が行われた。そのとき、東龍太郎氏は、世界にひとつしかないトロフィーが贈られたことに関し、「このブランデージ・トロフィーというものは、空前にして、絶後のものとなろう」と語られた。

ブランデージ氏と日本バレーボール界は、東京オリンピックを契機として結ばれた。故今鷹昇一氏(当時の理事長のちにJVA副会長)が同氏に初めて会ったのは昭和 36 年にアテネで行われたIOC総会の時のことである。この会議で、男子バレーボールがオリンピック種目になることが決定したが、女子については話題にも上がらなかった。日本協会は、女子バレーボールを加えたいという意向で総力を結集して働きかけた。協会は田畑政治氏らの力を借り、リボーIF会長、ソ連バレーボール界と緊密な協力体制をとり、ついに東京オリンピック(昭和39年 10月10日開催)でテストケースとして種目に加えることに成功した。

続いて、メキシコ・オリンピック(昭和43年)では、ついにオリンピック憲章の女子種目に正式に追加された。これらのことはブランデージ氏のバレーボールヘの理解と、日本国民に対する親愛感の表れであると思われる。

ブランデージ氏は「バレーボール競技が大衆に浸透した中で高度化され、高い評価を受けている日本で、このトロフィーがその競技に結びつくことはまことに喜ばしい」というメッセージとともにこのトロフィーを贈られた。

日本バレーボール・リーグは、その後発展してVリーグになった。しかし、日本バレー界の至宝ともいうべきブランデージ・トロフィーは、そのまま新しいリーグに受け継がれ、このトロフィーをめぐる熱い戦いが続いている。

ブランデージ・トロフィーは1863年に工一ゲ海にあるサモトラケ(現サモトラキ島)で発見された大理石像(サモトラケのニケ=BC190年、像高250cm、ルーブル美術館蔵)の複製(ブロンズ製)である。